ペッレ モルビダ 干場義雅氏インタビュー Part.II

2023.08.14
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ペッレ モルビダ 干場義雅氏インタビュー Part.II

干場義雅氏へのインタビューPart.Iに引き続きPart.IIをおとどけする。

岸田氏の熱烈な誘いで『LEON』編集部に参画

岸田氏の熱烈な誘いで『LEON』編集部に参画

本当にたまたまなんですけど、良い先輩方々に恵まれました。それでドイツに行っているときに、パーティでいつも会うおじさんがいまして……。いつもパーティ会場でお酒を飲んでて、面白い話をしていたんですね。で、あるときに「お前は今何やってんだ」って言われて、「いや僕、Esquireのファッション担当です」って答えたら、「そうか。お前、むちゃくちゃオシャレじゃないか!」と。

そうしたら、「一度ウチの編集部に遊びにいらっしゃい」って言われまして。「あれっ?」と思ったら、実はその方は岸田さん(岸田一郎氏)※2っていうLEONを立ち上げた人だったんです。それで編集部に遊びに行ったら、岸田さんと大久保さん※3という方がいらっしゃって、この2人が「ホッシーさぁ」とか言ってくるわけです。もう「干場」じゃないんですね(笑) そしたらいきなり、「ホッシー、ちょっとこの6ページ分やってくんないか」って言われて。僕が他の雑誌にいるのにも関わらず、LEONの巻頭ページを手伝えっていうんですよ。僕は当時社員だったし、普通は無理じゃないですか。で、「無理です」って話したら「ダメだ」って言われて。「内緒にしといてやるから」とか言われたんですけど、当然「わかりました」なんて言えないわけです。それでも食い下がられて、「とにかくやってくれ」と。それで仕方なく僕が作ったページが、実は大反響をいただきまして。それからすぐ、岸田さんに「お前、もう大至急、ウチの編集部に来い!」って言われて。それで、26歳でLEONの創刊準備号に参加しました。

※2 世界文化社で数々の雑誌を創刊させたのち、主婦と生活社に移籍し男性誌『LEON』、女性誌『NIKITA』を立ち上げる。現在は月刊誌『GG』の編集長を務める。※3 元『LEON』副編集長の大久保清彦氏。

そこからは1人で毎月60ページとか80ページとか担当しましたね。「これで自分のやりたいことができる」って思って、ヒット企画をたくさん作っていきました。「モテるオヤジ」っていう言葉が3か月目で、「ちょい不良(ワル)」っていうのが1年後。そういう言葉が生まれて、LEONのスタイルが段々と出来上がっていきました。そのころからテレビにも出始めて。

―そこからLEONの快進撃が始まって、ご自身のスタイルというのも確立されていくようになると。

そうですね……。オシャレってやりすぎるとカッコ悪いんですよ、難しいんですけど。そういう、ある種やりすぎの派手なファッションではなくて、もっとカッコイイことがあるんじゃないか――そう常に考えるようになりましたね。僕が提案しているスタイルって、例えばこれ1冊目に出した本なんですが、グレーのスーツ、白いシャツ、黒いタイ。普通のサラリーマンと同じ格好で、奇抜なファッションは全然してないんですよね。ベーシックで、色も使わない。もちろんこのスタイルにたどり着くまでには紆余曲折あります。30歳ぐらいのときに本当にいろんなファッションをしたんですが、いろいろと削られていってようやく自分が形成されていきました。

―少し話が飛ぶかもしれないですが、以前お話されていた「ビジネスマンにかっこよくあってほしい」っていう想いというのは、どういうところから?

昔からですね。すごく生意気な言い方なんですけど、「なんで日本のビジネスマンはかっこ悪いんだろう。何とかかっこよくしたい」って思っていたんです。海外によく行っていると、かっこいいご年配の方がいっぱいいらっしゃるんですね。特にイタリアとかだと、「成熟した大人のファッション」っていうほうがかっこよかったりする。子供は子供でしかなくて、大人のほうがカッコイイ、みたいな。より大人に憧れる性質があったってことでしょうね。

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―でも、26歳のときに、あのLEONの岸田さんに「めちゃくちゃかっこいい」って言われるなんて……すごい年上ですよね?

岸田さんは20歳ぐらい上だと思いますよ。そこでLEONに入って、そのファッションのベースも構築しましたし、コンサバだった岸田さんのスタイルも、僕が変えたような気がします。岸田さんは当時、ジーンズは履かなかったんですね。でも、ジーンズに白いシャツ、ジャケットみたいなスタイルの大人がカッコイイんだっていうのを常にサジェスチョンしていきました。岸田さんのファッションが変わるとともに、ジローラモ※4にもそういうスタイルをさせて、彼自身も成長していって……。LEONが作られて行ったんだと思いますね。岸田さんやジローさんは、今でも話しますし、ラジオ番組にも出て頂きましたね。

※4 パンツェッタ・ジローラモ氏。現在テレビタレントなどで活躍するイタリア人。LEONではモデルとして活躍。

LEONを離れて『OCEANS』を創刊

―では、LEONでご活躍されて、どんどん活躍の場を広げていって……それからは?

LEONで「モテる」「ちょい不良(ワル)」っていう言葉がブレイクして、ブワーッと広がっていったときに、西麻布に行ったりすると、シャツのボタンを2つ空けて、シャンパンを飲んで、ジャケット持った “オヤジ”をたくさん見かけるようになったんですが、そういう光景を見てちょっと冷めた自分がいて。そうしたら、LEONの岸田さんの下に大久保さん、太田さん※5、そして僕と、3人がいたんですけれども、ある人から「君らに投資するから、LEONとは違うまったく新しい雑誌を作ってくれ!」ってお願いされて……。本当に、今だから言えることなんですけどね(笑)。それが何億っていう金額で……。

※5 大久保清彦氏。干場氏とともに『LEON』に携わり、現在は『OCEANS』の編集長を務めている。

―すごい話ですね。

だから、LEONに反旗を翻したみたいになってしまって。一番雑誌を作っていたメンバーのトップ3人が「岸田さん、すみません、辞めます」となってしまったので、週刊誌沙汰になりましたね。僕らの名前がいろんなところに書かれちゃって。そんなことがありながらも、半年後ぐらいに『OCEANS』を立ち上げました。

LEONと同じような雑誌を作っても絶対に無理だと思っていたので、“子供がいてもカッコイイ”っていうコンセプトにして。それで、最初の創刊号で入った広告が3億。たぶん、その記録は今でも塗り替えられていないんじゃないかな。

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僕は、そのOCEANSを5年やりました。でも、やっていたら、だんだんカジュアルなスタイルになってきちゃって。そういうスタイルも嫌いじゃないんですが、自分はもっと大人っぽいスタイルがいいなって思って、ある時期に辞めました。自分のスタイルを貫くようなものを作りたいなと思って、自分の本を出したり、女性誌の「STORY」や「Domani」で連載を持たせてもらったり、「にじいろジーン」や「ヒルナンデス!」のようなテレビにもたくさん出始めるようになりましたね。

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